20年前に中学生、高校生だった皆さん。スクールバッグ、どうしていましたか?

先日、Pouch編集部で盛り上がったのは当時のスクールバッグ文化について。潰す、破壊、交換、他校のバッグをあえて持つ……バッグひとつにそれぞれのこだわりが詰まってて、こだわりがハンパないっ!!

90年代に青春を過ごしたアラサー、アラフォーの編集部員にいったいどんなカバンヒストリーがあるのか、出てきたエピソードをここでご紹介しますね!

【潰して先輩からもらうのがステータス】

まずは、“豚バッグ”というなかなか衝撃的なワードが飛び出したこちらのエピソードから。

「革の学生鞄だったんですが新品は“豚バッグ”と言われるほど横から見ると分厚くて、本当にダサい。学校が始まる前の春休みの間に机で踏んだり、カバンから芯を抜いてもうペッチャンコにしてましたね。でも一番は先輩から潰したカバンもらうのがステイタスでした!」

(長崎県出身 / 御花畑マリコ)

机で踏むとか容赦なさすぎ! どんだけペッチャンコにしたいんですか……!!

【ダメージ加工こそ至高】

続いては、「新品感がダサい」と言い切るこちらのエピソード。

「潰すとか、そういうのはなかったけど(笑)ただ、僕たちはダメージ加工していました。もう校章とか削ってましたね。破壊している人もいたなぁ。いかにカバンをヨレヨレにするかが勝負。新品感がダサいので」

(北海道出身 / ロケットニュース あひるねこ)

校章を削るとか「愛校心とは……」なんて気持ちになっちゃいますね。そして「カバンがヨレヨレのほうがかっけー!」という謎の価値観も中学生らしくてイイですね。

【安全ピンで潰すのがオシャレさん】

バッグの潰し方にもいろいろ方法があって、机で踏む一派がある一方、こんな潰し方をする学生さんたちも……。

「私の学校は背負う系のスクールバッグだったのですが、みんなペッチャンコにしました。一番ポピュラーだったのは安全ピンで潰すこと。安全ピンはピンク色とか黄色とか選べるのでそこでオシャレさをアピール。で、教科書はショルダーできるスクールバッグを用意してそこに入れるのが通でした。つまり、ペッチャンコのバッグはほぼ飾りの要素しかなかった」

(長野県出身/百村モモ)

安全ピンでオシャレさんアピールというのも、お金をかけずに済むところが中学生らしくてなんか微笑ましいぞ!

【他校とのバッグ交換がトレンド】

そしてそして。他校のバッグを交換したり、なんらかの方法でゲットして持つのがトレンドという人たちもけっこういるようで。

「カバンを潰すのは当たり前だし、なんならポスカでピンク色に塗っている子もいた。だけど、一番ヤバイのは静岡学園のバッグを使うこと。このカバン交換がいちばんナウかったね当時は」

(静岡県出身/ 営業 篠宮チュン)

静岡学園中学・高校は調べてみたところ、静岡県内でトップクラスの私立の進学校のよう。人気校なだけに、ここのバッグを持ってると一目置かれる、みたいなところがあったんでしょうか。

【昭和第一はルイ・ヴィトンに匹敵する価値】

東京ではさらに「学校=ブランド」という傾向は強く、東京出身の人からはこんな声が。

「昭和第一高校のカバンを持つ=ルイ・ヴィトンで通っている、くらい超ブランド力があった。基本的に東京はカバンが自由だったんだけど、あえて昭和第一のカバンを持つんだよね。

ただ、なかなか手に入らなくて10倍の価格で売られていたりするから、手に入れるのが大変。俺は持ってたんだけど、歌舞伎町とか歩くと目をつけられるんだよね〜。今でも価値あるのかな」

(東京出身 / ロケットニュース Yoshioさん)

昭和第一学園高校は当時、絶大な人気のあった男子校だったそうで(現在は男女共学)、「SDH」のロゴが入ったバッグが大流行したんだとか。ウィキペディアを見ると、偽物が出回ったり生徒がバッグ狩りに遭うこともあったそうで……これも当時のスクールバッグ人気が過熱していたことがうかがえますね。

【みんなのスクールバッグ文化はどうだった?】

ちなみに私は地方の私立女子校出身で学校指定のスクールバッグ(肩掛けにもリュックにもできる)だったのですが、私たちのまわりでもペチャンコっぽくするのがオシャレでした。なぜ……なぜあんなに必死になってみんながバッグをペチャンコにしようとしてたのか……不思議!

そして「〇〇高校のスクールバッグがステータス」は、出身エリアによってちがってきそう。首都圏だと法政や慶應、都立片倉高校などのバッグが人気で、男子校のをあえて女子が持つのもオシャレだったようです。

皆さんの学生時代にはどんなスクールバッグ文化があった? 周りの人と話してみると意外と盛り上がるかもしれませんよ~!

イラスト:百村モモ
執筆=鷺ノ宮やよい (c)Pouch